「英雄」[スポーツ]
タングルウッド音楽祭へいった1995年に野茂英雄さんがアメリカへ渡ってきた。ボストンにいた僕はレッドソックスファンだったけど、31年ぶりの日本人メジャーリーガーの誕生に驚愕し、遠い西海岸にあるLAドジャースのジャージやTシャツを買っては誇らしげに着て、ケーブルTVのスポーツチャンネルでもNOMO特集をおいかけたものです。なんだか自分事のように嬉しかった。

94年に行われた232日間ものストが物語るように、当時のメジャーリーグは様々な問題を抱え、TVの視聴率も当然のことながらヤンキースやジャイアンツなどのビッグクラブ以外の年間集客率は低く、空席が目立っていた。オーナーや連盟がファンのためのベースボールを目指したのはちょうどこの後。野茂選手が、95年にアメリカにトルネード旋風を巻き起こし、そしてその年のオールスターで開幕投手になったころから、MLBは復活の道を歩み出した。

それから10年の月日の間、野茂選手は6つの球団で活躍。戦力外通告を受けても、テスト入団をしたり、契約してくれるところを見つけては二軍からはい上がってきてメジャーのマウンドへの拘りを見せ。96年と01年にはノーヒットノーランを両リーグで2回達成。しかし05年から怪我が原因で思ったような成績を上げられず、メジャー球団からのオファーも途絶えてしまった。そしてタンパベイで投げた19試合を最後につい先日引退を表明。

どこも獲ってくれるところがない。やり残したことがある、と言いながらも、自分だけの中途半端な気持ちでやっても迷惑をかけるだけ、と野茂選手らしい発言をされている。

昔からインタビューに答えるときは、ほとんど笑顔がなく仏頂面。良いときも悪いときも波が無かった。いや、あったとしても表情に表さなかったといったほうが的確かもしれません。これは仕事ですから、といわんばかりの淡々とした姿に、もうちょっとなんかあるやろ、とテレビ前で苦笑しながらも、稀に見せるハニカんだ顔が妙に印象に残り、そんな人柄を素敵だと感じていました。

日本の野球、そしてアメリカの野球を全うした野茂選手、夢を与えてくださって本当にありがとうございます。そして、お疲れ様でした。

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